5月5日に行われたライブ映像が、youtubeにアップされていた。
アップしてくれた人、ありがとう。
彼は「雨上がりの夜空に」を熱唱していた。
私などでは計り知るlことの出来ない深い悲しみを抱えているであろう、彼。
でもこれを観ていて、ミュージシャンは音楽を通してあらゆることを乗り越えていくしかないんだな、と改めて思った。
喜びも悲しみも怒りも、うんと美しいことも、酷いことも、全部ひっくるめて、それがいつしか作品へと昇華されていくんだから。
小説家も絵描きもそうだ。
結局のところ、どんな人も、その人がやれることを精一杯やるしかないのだ。
私もそうだった。
清志郎の訃報を知ってからの3日間は魂が抜けたかのようで、連休明けに出さなければならない請求書に印鑑を押すことすら億劫、息も絶え絶え、という情けない有様だった。
“どんだけだよ…!”
と自分に突っ込んでみても、どうにもこうにもダメダメだった。
でも朝ちゃんと起きて、シャワーを浴びて、掃除をして、無理矢理にでも机に向かって、RCの曲をガンガンかけて絵を描いたり文章を書いたりしている内に、不思議と気力が湧いてきたのだ。
それはまさに、魂が体の中に戻ってきたような感覚であった。
“ああ、もう大丈夫だな”
そう思えた。
なんだかんだ言っても、私はこうやって生きていくしかないのだ。
それが私の唯一出来ることだからだ。
清志郎がくれた沢山の煌めく贈り物を胸に抱えて、今度は私が誰かに、ささやかでも何かを。
それは絵しかないんだろう。
この時代に清志郎がいてくれて、清志郎の音楽に触れられて、何度も何度もライブに行けたことは、私の宝物だ。
忘れることは、ない。
あとは、自分だ。
そう思う。
ずっと清志郎のことを考えている。
心の中に曲が鳴り続けている。
ふとした瞬間、鼻の奥がつん…、と痛くなる。
ああ、チャボはどうしているかなあ。
葬儀の時の憔悴しきったチャボを思うと胸が痛む。
でもチャボを救うのも音楽だ。
6月に青山マンダラで行われるチャボと梅津さんのライブ。
ちょっと切ない気持ちで、でも楽しみに待ちたいと思う。