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ひねもす のたりのたりかな

cosmico.exblog.jp

教え子の事

大学を卒業してすぐにフリーのイラストレーターで食べていける程の力がなかった私は、私立女子中高校の美術非常勤講師を4年ほどしていた。
職員室が嫌いで登校拒否になりそうで、RCの「僕の好きな先生」の女版を地でいく私であった。

そういう中での唯一の救いは、生徒の存在であったのだ。
彼女たちとは女同士、なんでもよく喋ったものだ。
恋愛の事、音楽の事。
何が好きで何に興味があって、何が楽しいか。
キャーキャーと、随分賑やかな美術の時間であったことだ。
私は熱心で真面目な先生ではなかったが、まあまあ話の出来る変なヤツではあったと思う。

二日酔いで登校する私(すんません・・)を見つけると
「センセー!またポカリ持ってる!!今日も二日酔いでしょ!」
と笑って通り過ぎて行った、彼女たちの揺れるスカートの裾を覚えている。

私の精神年齢が低くて、彼女たちの方が大人びていた所為もあったんだろう。
私もまだ若かったし、生徒というよりはちょっと年下の面白い遊び仲間のような感じだった。
特に気の合う仲のいい子が何人かいて、彼女たちが卒業し私が講師を辞めてからもその付き合いは10年程続き、しばしば会っては遊んでいた。
仕事の手伝いもしてもらったし、一緒にバリ島に行った事もあった。
いい時間を過ごせたと思う。
それほど仲が良かったにも関わらず、いつしか互いに連絡をとることはなくなり、疎遠になっていった。
そういうことはどんな人間関係にも起こるものだ。
友人、恋人、仕事関係然り。
蜜月の時期を過ぎていつしか互いの役割を終え、何事か有った訳でなくても離れて行く。
そうやって離れてしまっても、楽しかった時間は煌めいて残っている。
それでいいのだ。

仲良しだった教え子のひとりに、Yという子がいた。
ちょうど一年前に、彼女は病気で亡くなってしまった。
あまりにも、若すぎたと思う。
若かったからこそ病気の進行も速かったのだろう。

エキゾチックな顔立ちのとても綺麗な、そしてお洒落な子だった。
優しくて素直で、決して器用に立ち回って行けるタイプではなかったので、それ故に傷つく事もあり、また素直だからこそ影響も受けやすかったんだろう。
器用な人より、私は彼女のような不器用な人間の方がうんと好きだ。
ただ、変な影響を受けてこのままいくとちょっと危ういな、と思う時期があり、一度だけかなり厳しく怒った事があった。
そのことを彼女がどう思ったかは分からない。
だが、結局Yともいつの間にか疎遠になり、稀に噂は聞くものの、会う事はなくなっていた。
そして私の中には彼女の危うさが、ほんの微かな棘のように残った。

時々「元気で幸せでいてくれれば良いが」と祈るような感じで思い出していたが、自分の事に精一杯で日々は流れていったし、病気の事を伝え聞いた時はショックを受け、なんとか完治してほしいと祈りはしたが、それでも連絡はせずにいた。
自分の中に「今更どうすれば?」という気持ちがあったのだと思う。

ところが彼女が亡くなる半年程前に、私たちは偶然の再会を果たしたのだ。
よくぞ会えたなと思う。
あの日、ほんの少し、何かひとつでもタイミングがズレていたら絶対に会えなかった。
でも、会えたのだ。
彼女に呼ばれたのかもしれない。
そういう事ってあるものだ。

「ぎゃ〜!先生、変わってない〜!バケモノ〜〜!!」
笑って言う彼女は、病気の所為で随分とむくんでいた。
なのにそんな辛さを微塵も見せずに終止笑顔なのだ。
私が案じていた危うい感じはすでに消え去っていて、そこには凛とした女性がいたのだった。
凄いなと思った。
私が同じ状況だったら、痛いだの辛いだの愚痴のオン・パレードになるであろう。
そういう何もかもを飲み込んで、彼女はあの日居たのだなあと、思う。

最後に駅で何と言って別れたんだったか。
「ガンバレよ」とは言わなかったと思う。
頑張っている彼女に、あれ以上ガンバレとは言えなかった。
ただ、笑って別れた事は覚えている。
最後に見た彼女は、確かに笑顔だった。

そして一昨日である。
渋谷で個展をやっていた友人はYとも知り合いで、実はYと最後に会ったのもその友人の個展会場だったのだ。
今回の個展にYのお母様がいらして、そしてYの事を沢山話して帰られたそうだ。

友人は言った。
「Yはいつも“タシロ先生が、タシロ先生が・・”って話してたんだって。すごく慕っていたって。タシロとの事は楽しい良い思い出だったって」

それを聞いた瞬間、私は泣いた。
そうか。ごめん。と思って。
そうか。ありがとう。と思って。
連絡しないで、ごめん。
忘れないでいてくれて、ありがとう。
あの時あんなに叱ったのに、なのに慕ってくれてありがとう。
久しぶりに会えたのに、自分の事で精一杯であれきりになってしまって、本当にごめん。
でも最後に会えて良かった。
本当に良かった。
笑顔で別れて良かった。

Yはお母様にも痛いとも苦しいとも言わなかったそうだ。
だが、亡くなった後に出てきた日記には、壮絶な痛みとの闘いが綴られていたそうだ。

それなのに、あの笑顔かあ。
まいったなと、思った。

Yよ。
今はもう痛みから解放されて、きっと楽になっているね。
精一杯生きたね。
すごいね。
あなたにいろんな事を教えてもらった。
たくさん、ありがとう。
私もあなたを見習って、一日一日を大切に生きるよ。

あとどれくらい生きるのか分からないが、絵描きは短命か長生きかどっちからしいから、それじゃあせいぜい長生きして、思う存分絵を描こうと思うよ。
再会した時に「まあ、好い人生だったんじゃないか?」と笑って言えるようにさ。
いつか、またね。
それまでしばしのロング・グッパイ。
by contenta | 2008-07-25 14:00 | 徒然
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