もう泣くまい、と思っていたのに、まだまだダメだなあ。
朝から涙。
メールやメッセージや電話をくれた友人たちよ、ありがとう。
その温かな心に胸が震えます。
角田光代さんが今日の読売新聞に、清志郎への追悼文を載せていらっしゃる。
この美しくも切ない文章を、ご自身のブログに転載してくださった方がいた。
ありがとうございます。
http://gunnie.blog65.fc2.com/blog-entry-648.html
昨日からずっと、心の中で繰り返し繰り返しつぶやいている。
“ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ………”
どうしても、“さようなら”とは言えない。
思えない。
キヨシローは私の中に生き続けるし、彼が紡ぎ出した音楽も不滅だ。
沢山の映像も残っている。
youtubeにだって、お宝映像満載だ。
なのに、このポッカリと空いた穴はどうしたことだろう。
喪失感はなんだろう。
キヨシローはもう充分過ぎる程にやってくれた。
彼は生き抜いた。
その溢れんばかりの愛は届いた。
あとは自分がどうするかだ。
そう思う。
でも。
ジジィになったキヨシローが歌うブルースが聴きたかったなあ。
そうも思う。
角田さんの文章の中に、こういう一文があった。
「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(魯迅)
キヨシローがつけてくれたその道を、私も歩いていこう。
昨日、キヨシローのマンションのある、その空に、
二本の虹がかかったそうだ。
その虹を、彼は昇っていったかな。
ギターを鳴らして、あの美しい希有な声で歌いながらさ。