もう10日も前の事であるが、小学校以来の友人である
佐古百美さんと一緒に
ちひろ美術館で『茂田井武展』、
国立新美術館で『ピカソ展』を観て来た。
まずは、昨夏以来のちひろ美術館へ。
昨年はここで大好きな敬愛する『初山 滋展』を観たのだ。
繊細な線や美しい色彩に胸を震わせながら。
今回は『茂田井 武展』である。
私の中で「セロひきのゴーシュ」と言えば、茂田井氏の描いたそれである。
温かで力強い絵は、他の誰が描いた「セロひきのゴーシュ」よりも私の胸に届く。
この人のでないと、なんでか私には響いてこないのだ。
今も私の手元には、子供の頃に買ってもらった茂田井 武:画の「セロひきのゴーシュ」がある。
何度も何度も繰り返し読んだので、擦り切れて汚れてしまったが、大切な大切な1冊だ。
だから今回の展覧会、とてもとても楽しみにしていたのであった。
さて、佐古百美ちゃん(以下モモちゃん)であるが、小学校6年の時のクラスメートである。
モモちゃん曰く、6年の一年間だけを共に過ごしたんだそうだが、もっとずっと長いこと一緒に遊んでいような記憶がある。
きっと一緒だったその一年は、私にとってものすごく濃い一年で、だからずっと一緒にいたような感じがするんであろう。
二人、いつでも絵を描いて遊んでいたように思う。
私は地元の中学に行かなかったのでそこで一瞬縁は途切れるが、私の高校がモモちゃんの高校の隣の(というよりもほとんど同じ)敷地にあったり、大学こそ違えど同じように日本画を専攻していたりと、なんだか細く長く繋がっていたのだった。
そして今、漫画が大好きだった子供たちは大人になって、互いに絵を生業としている。
不思議な長い縁であることだ。
彼女はこの数年、絵本の分野でとても活躍していて、私はいつでも刺激を受けている。
怠け心がニョキニョキ〜っと顔を出した時、彼女のことを思い出すと「あ〜、私も頑張ろう!」と思える。
同世代で刺激を与えてくれる数少ない絵描きの一人である。
彼女の描くとても愛らしい絵は、多くの人々を魅了し、あたため、和ませていることであろう。
素晴らしいことだ!
彼女が素晴らしいのは絵だけではない。
その人柄がまた素晴らしい。
売れに売れていても、昔と何も変わらずに優しく穏やかで和やかなのである。
子供の頃からそうだったように思うが、彼女はバランスがいいのだ(と私には見える)。
いつまでもグラグラグチャグチャウロウロやっている私とは大違い。
とても、自然体な感じ。
人として、女性として、綺麗だなあと思う。
そういう人と友だちで良かったなあ、ありがたいことであるなあと思う。
そのモモちゃんと行った茂田井武展である。
おおらかで温かくて、懐かしくて美しい原画。
心にぽわ〜・・っと明かりが灯るような絵なのである。
なかでも目を奪われたのはパリ滞在時に描かれたスケッチの数々。
モモちゃんと二人「これはどうやって描いたんであろうか」と検討した結果、“タンポ”を使ったんであろうという結論に達した。
皆さんはやったこと、ありますか?
小学校の時に、ガーゼに綿を詰めてテルテルボーズみたいなのを作って、それに絵の具を付けてポンポンと叩いて絵を描きませんでしたか?
たぶん、そういう技法を用いて描かれたであろう絵が、本当に美しくて。
このパリ滞在時の絵を集めた『ton paris』という画集があるんですが、すでに絶版。
ネットで探しても、絶版。
でもねー、見つけたんですよ、amazonで。
定価¥3914の本が、¥14000くらいで売られてましてね。
迷いましたが、購入しちまいました。
1−2回飲みに行ったと思えば・・って気持ちで。
結果、買って良かった。
美しい。
目を奪われる。
飽きない。
うっとり・・でございます。
モモちゃ〜ん、買っちゃったよ〜〜〜(笑)
茂田井氏の絵に心奪われ、いわさきちひろ氏の巧さに舌を巻き、美術館で食べた“おやき”に腹一杯になって、次に向かったのは国立新美術館。
今まで観た事がないようなピカソの作品がたくさん並んでいた。
ま、ピカソのことは書かなくてもいいや。。
絵を堪能し、子供の頃の話しに花咲かせ、絵の話しもたっぷりとし、腹一杯。
歩き疲れて日も暮れて、次の再会を楽しみにモモちゃんと別れて家路へと向かったのでありました。
濃く楽しい幸せな一日をありがとう!
子供の頃の友だちっていいものだなぁ。
しみじみと思ったことでした。
さて次の日には、これまた小学校の同級生であったY君のライブに行ったのですが、それはまた今度書きますわ。